さっきふと思ったことです。
ゲームって本当にいいなーって思います。もちろんこの場合アニメもそうだけども。
自分はソシャゲについて否定しないし、むしろ肯定派です。当たり前ですよね。需要なければ市場なんてできません。ただ、私はソシャゲをやりたくないし、ソシャゲやる時間あるならボランティア活動でもすれば? って思うわけです。
なぜかって? ソシャゲって結局時間つぶしにやってる人が多いわけでしょ? そんな暇あるなら研究したりボランティア活動したりすればいいじゃんって思うわけです。その理由は今後明らかにしていきますが――。
家庭用ゲーム機や携帯用ゲーム機に売られる比較的高いゲームは「エンターテイメント」を提供するものだと思ってて、もちろんこれは映画やアニメ、なども同じだと思ってるんです。だって、「アニメ」見るのしんどいでしょ? 「ゲーム」するのしんどいでしょ?
アニメ好きからすれば好きなことをやっているから全然退屈じゃない、とか思ったりするんですかね。いや、私はしんどいと思いますよ。だって、コンスタントに 30 分、見れる時間が必要なわけで、その時間を確保しなければなりません。もちろん忙しくてもね。
そこのロジックが違って、ソシャゲは「暇だからソシャゲやろう」ってロジックになると思うんです。でも、ゲームとかアニメって比較的こうじゃないと思うんですよ。「ああ、あれ見たいから何とかして早く終わらせてみよう」とかいうロジックだと思うんです。むしろ暇だったら、ソシャゲとかなんとなくできることをやってると思うんですよね。
(個人的にはながら見は作者に失礼だと思うし、そんなのするぐらいなら見なければいいんじゃないんですかね、って思う部類です)
まあ、そういう中で時間を割いて何らかの脈絡に沿って進んでいくってことはそこに思い出なり、それなりの感情ってものが発生すると思うんですよ。まあゲームではよく言う「思い出補正」とかですかね。やっぱりこれが大事だと思ってて。
あ、もちろん↑にはあげなかったですけど、「漫画」や「小説」も別に形態を変えた体験だと思ってます。これらに共通することって、そう、先ほど出てきたけどやっぱり「追体験」なんですよね。これが重要だと思ってて。結局そこが大事なんだかと思います。
絵がないものだと絵を想像するだろうし、音がないものだと音を想像するだろうし、感覚がないものだと感覚を想像するだろうし、…
まあ追体験ってやっぱりしんどいです。だって感情が揺らぐことって一般にしんどいことでしょ? だけどまあそこまでして何かをこうやり切るってことって結構オタクじゃない人にとって難しいのかなーって思います。
少なからずどの人もオタク性を持っていると思いますが、ただオタク性が低い人ほど、人生暇なんじゃないかな、って思ったりもします。まあオタクって案外幸せですもんね。ちょっとのことで幸せになれるし。
追体験よりも実体験のほうがもっと上を行くかもしれないけど、人生まあ難しいもんです。特に日本の長期休暇が取れないような文化だと難しくなるかもですね。海外だとオタク文化が発展しにくいところって割とそこにあるのかな、って思ってみたり。つまりは実体験ができやすい環境にあるんですね。まあ例えばセスナのパイロットとかね。
タイトルにもある「ゲームっていいな」って話に戻すとまあ、SSQ2 の 3DS ホームテーマかったんですけど、BGM 効いて、「あ、懐かしいなぁ~」とともに映像が浮かぶ感じで。ほんわかしたってわけです。改めてゲームっていいな、って思ったのと、電話って糞だなって思った感じでした。
まあソシャゲは悪くないですが、ソシャゲとゲームはそもそもロジックが違うとかそんな感じがあるので、そもそも市場的には別かな、って思ったり。ソシャゲにもゲーム性があるのは確かかもしれませんが、私が見る限り、そこには萌え的要素しか感じないなって思う限りですが。
どうでもいい話でした。おしまい。