モノトーンの伝説日記

Apex Legends 楽しい!!

<mini> 自分の価値は自分の中だけに存在する。

 別の言い方をすれば「他人に自分の価値を求めすぎないこと」。

自分の価値を他人の評価の中に求める

 自分の存在価値=他人からの評価

 こうなってしまうと,最大の評価してくれる人が目の前からいなくなったとき自我を失う。

 人間関係に広げると,「依存」と言う言葉が当てはまる。

 これは最もやってはいけない生き方だと思う。

 つい最近まで自分もこれをやってました。「誰かから見た私」を気にする私。一見客観視ができているようで,世の中の風潮やブームといったいわゆる〈仮想上の人物〉に依存する。私の中にいるもう1人の裁判官のような自分に評価される。

 その〈仮想上の人物〉は,私の中にあるけども私じゃないんです。本来の自分じゃない現代世界におけるいわゆる正義マンとかそう言う類いのものなんですよね。

 まあ無理もありません。インスタとかで「いいね」数を競うとか,世の中数字ばかりに目が行きがちですが,これは「通知表で5をとった人が偉い!」と言うようなものがインターネット社会に蔓延った結果なのです。

 何かを評価するためには何かの物差しが必要。しかしその物差しは一次元的なものが大半です。

どれもが全て一次元の数直線上に表現されているものです。しかし評価をするとき,様々な角度があるじゃないですか。

  • わかる (同意)
  • すごい (驚嘆)
  • 無理 (拒否)
  • やばい (wtf)

本来こう言うものってn次元的に扱うべき問題で,Slack とか Discord,Misskey とか言うリアクション機能がついている SNS っていいと思いますね。あれは多次元的に表現できますし,実装のコストも簡単ですから(プログラマー脳w)。

情報処理と多様性

 情報処理をするときって,とりあえず次元を落として処理をするんですね。上の評価も同じです。1次元に落とし込んで評価をしている。

 数字がでかいものをバズってるとか言われますけど,いわゆるこれって何でされてるのかって,企業がマーケティングのために調べるんですよ。

 「タピオカ流行ってるならうちもタピオカ売って売り上げあげよう」とか。情報化社会の中で売り上げを上げるにはバズってる(つまり数字がでかい)ものを扱えば楽だから扱うんですね。この方面の情報処理って SQL 文で簡単に書けますし,簡単に指標としてわかるので,どこもやるんですよ。

 でもいい加減流行に乗るとかやめませんか? とは思います。

 そこで最初のテーマが出てくるんですが,流行とかっていわゆる他人との接点を作りやすいんです。共通の話題になるわけですから。

 だいたいこう言うロジックがあって,他人に自分の価値を求めるから常に他人との接点を必要とする。そのため接点の内容は何でもいい,ってことです。

自分の中に自分の個性(セールスポイント)を作ること

 結果的に言えるのは,自分が誇りを持って楽しんだりできることを作ること。ゲームで遊んでいる人は才能があります。

 そこの読んでいるあなたに質問。

 「これから一ヶ月自由にする時間を与えるので,毎日12時間ゲームしていいですよ」って言われたとします。大抵の人は3日も続けばいい方でしょうね,音をあげるでしょう(他の好きなものに置き換えてもいいですよ,ドライブとかフィッシングとか)。

 同じことを続けられるのってやっぱり才能があるんです。大抵の人は続かないわけで。

 そう言うのをちゃんと言える社会になればもっとよくなるのかな,って思いますね。

おまけ

 ここ最近,自分の考え方がとても変わったのです。必要以上に自分で自分を傷つけなくなりました。わかりやすいワードで置き換えれば,「精神(心)へのリスカ」(スピリットカット?w)って感じでしょうか。

 手首(リスト)に傷は残りませんけどね,心をナイフで切るようにしてたら傷なんていっぱいできますよ。そうやって数十年生きてきたら心はマジでナイフで皮膚を切ったような感じにいっぱい瘡蓋ができる。

 そりゃネガティブになります。当たり前ですが。

 そこから救ってくれた女性に感謝🙏🏻ですね。

 世の中数字とか求められることがほとんどだと思います。だって数字しかわからない人が多いから数字でしか評価できない。本当にその人の全てを見て判断できる人って世の中そんなにいっぱいはいなくて,もっと全員が素直になれる社会になれば,「自分はその分野を理解できないので,あなたにお任せします」と言う社会になるんですけどね。

 互いの弱点を互いに助け合う,そういったことも上に出てきた女性に教わりましたね。今までの自分は完璧でなければならなかった,全て1人でこなせないといけなかった。そう言う考えを持っていました。

 弱みを曝け出すことにあまり抵抗がなくなったのもここ最近かもしれません。本当の自分なのだから。

 完璧であろうとする人は何か近寄りがたい雰囲気なんですよ。だって完璧だから,失敗を見抜かれると周りの人は思っちゃうから。だからどこか抜けてるところがある人の方が親しみを持ちやすいのはそう言う理由なのだと思うのです。

 弱みを見せることって悪くないことなんだな,って思ったり。それもある種「私の価値」になるのかもしれません。全てが1人でできたら,人間って助け合わなくても生きていけますから。自分の弱点を埋め合わせるために支え合って生きていく,今後そんな風に世の中が変わっていくといいですね。この辺りのテーマも書いてみたいですね。おまけで記事一本書けそうです。

 この文章は一つの書きたいテーマを元に何となく書いた無計画な文章です。正直,タイトルだけ書いて満足するレベルなのですが,いわゆる誰かへの依存とか,いいね依存とか何かにすがるとかそう言うものに対する自分なりの答えと言いますか。自分の中にだけ存在する価値を大事にしていけば,たとえ環境は変わっても人は強く生きていくことができる,そう言うことを自分なりに考え抜いて出した結論だと思ってもらえれば。

 メモ: 人の弱み,正義マンあたりももう一度書いてみるのも面白いかもしれませんね。